33 町に活気があるとき⑥

町に活気があるとき⑥

49年前、1974年の秋、友人と共に学習塾を開くことに決め、所沢と東村山で教室を開く場所を探して見つからず、ひばりが丘にやってきました。私が来たとき、ひばりが丘は開発が始まって15年たっていました。子供は大勢いました。開発当初にこの地域に来た人たちの子供が多くいたのです。意欲的で上昇志向も強かったです。

当時、町には、下水は完備していませんでした。図書館には本があまりありませんでした。保育園も足りませんでした。駅前には西友もないし、パルコもありませんでした。

以前述べたとおり、ひばりが丘に来るまでの20年間、私は、練馬の新開地で、野原と畑と雑木林が住宅地に変わっていく様子を見ていました。そこでは、私は子供の目で子供を見ていたわけですが、やはり、多くの子供が意欲的で上昇志向も強かったです。さらに言えば、「勉強しなければ、生きていくことはできない。」という考え方が今の子供たちよりずっと強かったです。中学3年の時の45人の同級生はほとんど全員が、勉強しなければならないとかなり強く思っていました。

新開地にやってくる人たちは、新たに住居を求めようとする人たちだから、やはり、人生に積極的なのでしょう。その子供たちも意欲的なのは当たり前です。

町に活気があるのは、どうやら町全体に下水が完備するまでです。その後は、落ち着いた大人の町になるということでしょう。もしかすると、国全体としても同じ事が言えるのかもしれません。