31 町に活気があるとき④

町に活気があるとき④

西武池袋線の池袋から4つ目の駅が桜台です。この駅から歩いて15分ほどのところに私の母の実家がありました。南隣が養鶏場で、うるさくもあり、くさくもありました。養鶏場が先にあったのですから、文句を言う筋ではありません。が、徐々に住宅も増えてきて、養鶏場の親父さんはしきりにすまながっていました。もっとも、こちらも庭に鶏小屋を造って鶏を飼い卵を採っていましたし、祖父母はあまり気にしていませんでした。鶏小屋の網を地面深く埋め込まないとイタチに襲われるのでそちらをよほど気にしていました。駅から歩いてくると家並みはここまでであとは畑と野原でした。私は生まれてから小学生になる前まではそこで過ごすことが多くあったのです。小学校に入ってからは夏休みに訪れるだけになりましたが、そのせいで年々家並みが広がっていくのがはっきりわかりました。いつの間にか養鶏場もなくなりました。中学1年の時、この桜台の祖父母の家に移りました。つまり、子供の目で、新興住宅地がどんな展開をするものかつぶさに見たのです。

私は、25歳の時、ひばりが丘にやってきました。そして、今度は大人の目で、新興住宅地の展開を見ることになったわけです。下水がない、都市ガスがない、図書館に本がない、保育園がない……という状態から基本的なインフラが整備されるまで、まるでビデオテープを見ているような思いがありました。以下次号で。