30 町に活気があるとき③

町に活気があるとき③

東京オリンピックがあったのは、中学2年の時でした。この年に向け東京はきれいになっていきました。小学2年の時、明治神宮の裏手に住んでいましたが、すぐ近くに「オリンピック村」ができるという話を聞いた覚えがあります。八丈島で金環食が見られると言って大騒ぎをした年です。ガラスにすすをつけて日食を見ました。ガラスはいろいろなところに落ちていたし、ろうそくはどの家にもありました。年中停電するから必需品だったのです。

「オリンピック村」の本格的な工事が始まらないうちに西武線沿いの町に引っ越しました。池袋から二つ目の東長崎が最寄り駅でした。ここで千川上水の暗渠工事と環状7号線の造成工事を見て過ごしました。当時道路は、ところどころ土管と砂利の山で覆われていたものです。最も主要な道路は、舗装されて自動車が通っていたけれど、それ以外の大半の道路は舗装されていなかったし、乗用車はほとんど見かけませんでした。走っていたのは、商店主の使う「ミゼット」と「くろがねオート」と呼ばれる三輪の車です。

小学3年の時、千川上水の暗渠工事が終わりました。桜並木が切られ、千川通りが拡張されると、少しずつ乗用車が珍しくなくなってきました。環状7号線の工事は続きましたが、中学2年の時には、オリンピックで使う分は完成していました。東半分が完成して輪がつながったのは、さらに20年後でしたが。

東京オリンピック前、皆おなかをすかしていたし、道も穴だらけでしたが、静かで確かな活気が町にはあふれていました。