人は言葉を覚えるとき、いくつかの使用例を集めます。そして、記憶した例から言葉の意味を推定し、思い切って使ってみます。小学校の1年坊主が、生まれて初めて『きっと』という言葉を使うとき、「きっと、明日は晴れるよ。」「これは、きっとオニヤンマの卵だよ。」という例から、「『きっと』は不確実であることを示す。」と信じることがあります。友達と翌日遊ぶ約束をした後、その約束を守る気持ちが強くないことを示すために、『きっとな。』『きっとだぜ。』と言い交わすわけです。まもなくこの使い方が誤りであることを知り、正しい使い方ができるようになります。
重要なのは、間違って使われる言葉はとても少ないということです。数多くの使用例を暗記することが、正しい推定につながるのでしょう。
ところが、「暗記をさせないで。勉強法を教えて。」といわれることがよくあります。中学2年のK君の場合は、英語が特にできないということで、定期試験の直前に相談があったのです。そこで試験範囲の教科書本文を暗記、書けるように練習して、試験を受けてもらいました。すると、前回の定期試験の成績をはるかに上回る結果となりました。K君のお母さんは喜んでくれるだろうと思っていたのですが、結果の出た数日後、お母さんから電話があり、「あんまり良い点数なので変だと思って、息子を問い詰めたら、教科書を暗記してテストを受けたという。これではカンニングと同じではないか。」と言われました。つまり、このお母さんは、論理力・構成力などは使ってよい力だが、記憶力は使ってはいけない力だという意見の持ち主なのですね。