32 町に活気があるとき⑤

町に活気があるとき⑤

49年前、1974年の秋、友人と共に学習塾を開くことに決め、物件探しを始めました。候補に挙がったのは、所沢、東村山、ひばりが丘の3カ所です。新開地育ちの私には、所沢の旧市街が、とても魅力的に見えました。あらゆる生活環境が調い、住民も特定世代に偏らず、バランスの取れた感じが、好ましく思えたのです。ところが、物件探しを始めると、どこの不動産屋も、「旧市街では、貸家も貸事務所も1年待っても出ないかもしれない。」と言うのです。1ヶ月ほど探し続けましたが、全く手応えがなく、あきらめました。新陳代謝は必ずあるはずですが、地縁、血縁で決まっていくのでしょう。

東村山とひばりが丘は、典型的な戦後ベッドタウン。60年前から10年間で人口が急増した町です。当時、勃興する新興住宅地として名高かった東村山にまず行ってみました。駅のホームからは、線路近くまで朽ち果てた板塀が迫っているのが見えました。駅周辺を歩いても人の気配はなく、店も見あたらず。這々の体で引き上げましたが、もちろんこれは私の早とちり。当時東村山市は人口11万人近くに達し、若さ全開といった町だったのです。人口が流入し、出生数も多かった時期です。愚かな私は、表面上の静けさに勘違いしたというわけです。人口急増期の住宅地には、店もなければ、公園もないということはよく知っていたはずなのですがね。子供は学校に行っているし、親は仕事に行っているか、家事に忙殺されているかどちらか。誰も道を歩いていないのは当たり前でした。むしろ、もっとも活気のある町と気づくべきでした。

次回はひばりが丘について。